3年社会科 「死刑制度を考える」

実践の特徴は、生徒自身が資料やほかの生徒の意見を参考にしたうえで、いったん決めた自分の考えを再構築する過程を保障している点にある。
 とくに注目されるのは、どちらの立場に立つにしても、自分が選択しなかった立場の考えを聞き、それを取り入れながら自分の考えをまとめているという点である。そこには多かれ少なかれ、自分が選択した判断にたいする『迷い』が介在している。賛成派と反対派が別れてディベートのような討論を行うかたちでは、このような『迷い』が介在する余地は少ないだろう。
 この『迷い』は、考えるという営みを成立させるうえで重要なものであると思われる。たとえば前述のアレント(思想家のハンナ・アレント)は、考えるということは、自分のなかのもう一人の自分と対話をすること、すなわち、『一者ののなかの二者(The two-in-one)』を自分自身の内に構築することであると述べている。『迷い』は、自分のなかに『一者ののなかの二者(The two-in-one)』を構築し、もう一人の自己と対話をする過程で生じる異質なものの間の葛藤を示すものである。
 実践は、教師が問いを投げかけることで、子どものなかにもう一人の自分との対話的思考を促そうとしている。

 論評はもう少し続きますが、以下省略させていただきます。『教育』(2009年6月号)をご購入のうえ、ご一読いただけると喜びます。


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 実践記録を読まれた愛知教育大学の先生がWeb上で以下のように論評して下さいました。ありがとうございます。実はこのようなご指摘を、以前研究会でいただいたことがあります。検討させていただきます。

 教育科学研究会から執筆を依頼された実践記録が『教育』(2009年6月号)に掲載されました


日本社会は厳罰主義的雰囲気が意識的につくられている中で、実は多様な意見があることを、死刑制度存続派と反対派を登場させて生徒に意見形成を図っている。対抗関係として、犯罪被害に遭った人あるいはその遺族でも実は意見が分かれているので、冤罪事件の当事者とともに意見が紹介される必要もあるかなとふと思った。

 実践記録を読まれた東京大学の先生が同誌上で以下のように論評して下さいました。ありがとうございます。